「きみに読む物語」
いちまつstyloさんのところで脳の性別診断ってのを見つけました を読んで、やってみたんです。
結果はいちまつさんと一緒で「中性的」でした。詳しい診断結果は、読むとなんだか「あれ。結構良いンでない?」って思っちゃうような書き方(いちまつさんのブログにはくわしい診断結果が載ってますヨ)
なんですけど、自分を冷静に振り返ってみるに・・・。
女らしさが足りないだけじゃ・・・・_| ̄|○ と言う気がするのです。
そのせいかどうかわかりませんが、恋愛映画はそれほど好きなジャンルではありません。
コメディならいいんですけどね。セカチューも冬ソナも興味なし。
その雀屋が先日「きみに読む物語」を見に行ったのですよ。そりゃ雪も降りますって(ぇ
めっちゃくちゃ王道を行く恋愛映画でした。
避暑地の恋だし、身分違いの恋だし、親の反対でひきさかれて、連絡を取るのも親の妨害にあって・・・と。
あきらめたヒロインが、数年後、別の男性と婚約したところで、思いがけない再会・・・。
うはー。こそばゆくなってきそうな程のメロドラマやんか。
しかも再会を果たしてからの、かつて恋路を邪魔していた母親の、自分の恋の告白とか見てると、まぁそこまでそのパターンで行きますかってくらいの、お決まりぶりなんですよ。
でもねえ。その恋も過去の話。
どういう形で過去になっているかが、この映画の見せどころでした。
どんでん返しじゃないんですけどね。
やっぱり映画を見ないとわからない(・・・伝わらない・・かな)結末です。
映画は、老人ホーム(?)である老人が、痴呆症の老婆に物語を読んで聞かせる形で進行してます。(その読んで聞かせるお話が、王道メロドラマなんですよ。)
まだらボケって言葉がありますよね。
痴呆症の老人が時々、しっかりした正しい認知をする時もある。
きちんと赤いスーツを着て、ヒールを履き、キレイにお化粧した老女は、老人が読む話を聞いて、その話が自分と自分の前で話を読んでいる老人との「自分たち二人の話」である事に気が付くのです。
痴呆のために忘れてしまっている記憶が一瞬取り戻され。
でもそれはほんの一瞬。
「ダーリン」と呼びかけた次の瞬間には「あら。私あなたのことダーリンって呼んだ?何故?あなたはだれ?」と、再び記憶は彼方へと去り、混乱してショック状態に陥り看護士に押さえつけられる老女・・・。
そんな事が何度も繰り返されていることが老人のセリフでわかります。
ほんの束の間。彼女の記憶を取り戻す為に。彼女に愛してるという為に。愛してると彼女が言うのを聞く為に。
彼女は、痴呆症のために、目の前の老人が自分の夫であることを認知できなくなっているのですが、でもわからないまでも繋がりは残っているのでしょう。
老人が心臓発作で倒れて、老女のもと訪れる事が出来なくなると、彼女はあんなにきちんと身なりを整えていたのに、寝巻きを着替える事すらしなくなります。
金網の入った部屋で不安そうな彼女。まるで誰かを探しているかのようで。
認知は出来なくても、心のつながりがまったく断たれているのではないみたい。
彼女が記憶を取り戻すよすがにと、老人が読み聞かせている「自分たちの話」
それは彼ではなく、彼女自身が書いたものでした。
痴呆だと医者から言われた時、いつか夫がわからなくなる日々が訪れた時のために、まだ記憶がしっかりしている時に書いたものなのでしょう。
「これを読んでくれれば、私はあなたのもとへ戻ります・・・」
ほんの束の間。彼女の記憶を取り戻す為に。彼女に愛してるという為に。愛してると彼女が言うのを聞く為に。
・・・彼の望みではなく彼女の望みだったんです。
きっと、彼女がどんな状態であっても、彼の愛は変わらないのでしょう。
彼女自身が、どんな時であっても「あなたを愛してる」事を失いたくない。
痴呆で忘れてしまっても、あなたを愛している事を思い出して感じたい。
そんな彼女の望みがつまったノートなのでした。
若いときの恋愛話だけなら、あまりにありきたりなストーリーでしたけど、老人達の事情がミステリアスに描かれていることで、最後まで飽きずに見る事が出来ました。
ただ、ラストシーンは・・。無くてもよかったかも知れないかなあ。
ない方が、ボケていくという事への切なさがいつまでも残ったでしょうね。
ラストシーン、ある意味ハッピーエンドなのでした。
結果はいちまつさんと一緒で「中性的」でした。詳しい診断結果は、読むとなんだか「あれ。結構良いンでない?」って思っちゃうような書き方(いちまつさんのブログにはくわしい診断結果が載ってますヨ)
なんですけど、自分を冷静に振り返ってみるに・・・。
女らしさが足りないだけじゃ・・・・_| ̄|○ と言う気がするのです。
そのせいかどうかわかりませんが、恋愛映画はそれほど好きなジャンルではありません。
コメディならいいんですけどね。セカチューも冬ソナも興味なし。
その雀屋が先日「きみに読む物語」を見に行ったのですよ。そりゃ雪も降りますって(ぇ
めっちゃくちゃ王道を行く恋愛映画でした。
避暑地の恋だし、身分違いの恋だし、親の反対でひきさかれて、連絡を取るのも親の妨害にあって・・・と。
あきらめたヒロインが、数年後、別の男性と婚約したところで、思いがけない再会・・・。
うはー。こそばゆくなってきそうな程のメロドラマやんか。
しかも再会を果たしてからの、かつて恋路を邪魔していた母親の、自分の恋の告白とか見てると、まぁそこまでそのパターンで行きますかってくらいの、お決まりぶりなんですよ。
でもねえ。その恋も過去の話。
どういう形で過去になっているかが、この映画の見せどころでした。
どんでん返しじゃないんですけどね。
やっぱり映画を見ないとわからない(・・・伝わらない・・かな)結末です。
映画は、老人ホーム(?)である老人が、痴呆症の老婆に物語を読んで聞かせる形で進行してます。(その読んで聞かせるお話が、王道メロドラマなんですよ。)
まだらボケって言葉がありますよね。
痴呆症の老人が時々、しっかりした正しい認知をする時もある。
きちんと赤いスーツを着て、ヒールを履き、キレイにお化粧した老女は、老人が読む話を聞いて、その話が自分と自分の前で話を読んでいる老人との「自分たち二人の話」である事に気が付くのです。
痴呆のために忘れてしまっている記憶が一瞬取り戻され。
でもそれはほんの一瞬。
「ダーリン」と呼びかけた次の瞬間には「あら。私あなたのことダーリンって呼んだ?何故?あなたはだれ?」と、再び記憶は彼方へと去り、混乱してショック状態に陥り看護士に押さえつけられる老女・・・。
そんな事が何度も繰り返されていることが老人のセリフでわかります。
ほんの束の間。彼女の記憶を取り戻す為に。彼女に愛してるという為に。愛してると彼女が言うのを聞く為に。
彼女は、痴呆症のために、目の前の老人が自分の夫であることを認知できなくなっているのですが、でもわからないまでも繋がりは残っているのでしょう。
老人が心臓発作で倒れて、老女のもと訪れる事が出来なくなると、彼女はあんなにきちんと身なりを整えていたのに、寝巻きを着替える事すらしなくなります。
金網の入った部屋で不安そうな彼女。まるで誰かを探しているかのようで。
認知は出来なくても、心のつながりがまったく断たれているのではないみたい。
彼女が記憶を取り戻すよすがにと、老人が読み聞かせている「自分たちの話」
それは彼ではなく、彼女自身が書いたものでした。
痴呆だと医者から言われた時、いつか夫がわからなくなる日々が訪れた時のために、まだ記憶がしっかりしている時に書いたものなのでしょう。
「これを読んでくれれば、私はあなたのもとへ戻ります・・・」
ほんの束の間。彼女の記憶を取り戻す為に。彼女に愛してるという為に。愛してると彼女が言うのを聞く為に。
・・・彼の望みではなく彼女の望みだったんです。
きっと、彼女がどんな状態であっても、彼の愛は変わらないのでしょう。
彼女自身が、どんな時であっても「あなたを愛してる」事を失いたくない。
痴呆で忘れてしまっても、あなたを愛している事を思い出して感じたい。
そんな彼女の望みがつまったノートなのでした。
若いときの恋愛話だけなら、あまりにありきたりなストーリーでしたけど、老人達の事情がミステリアスに描かれていることで、最後まで飽きずに見る事が出来ました。
ただ、ラストシーンは・・。無くてもよかったかも知れないかなあ。
ない方が、ボケていくという事への切なさがいつまでも残ったでしょうね。
ラストシーン、ある意味ハッピーエンドなのでした。
by suzume-ya3
| 2005-03-07 10:18
| 映画・ドラマ