「マラソン」
韓国映画の「マラソン」を見ました。
どうもね。韓国映画って演歌的な臭さを感じて苦手なのです。ことに恋愛物。
ふるーい昭和のドラマ見てるみたいでねえ。
というほども見てないから、要は食わずキライかも(笑)たまたまN○Kで見たのがそうだっただけかな。
でも、マラソンは臭くないとの評判だったので、見る気になりました。スターウォーズ日照りで他にこれって映画もない時期でもあったので(笑)
親子物だからか観客は圧倒的にお母さん世代。
全席指定にも関わらず私の席に座ってるオバさんがいるし。
上映中に、携帯電話が鳴り響いちゃったりするし。
しかも「え?これどうしたらいいの?」とか言ってるんですよ。もうねえ・・・。電源きればいいでしょ!と怒鳴りたい気分。説明書がイラナイ携帯にしたら?とか思いました。
ワタシもね。似たり寄ったりな年代なんですけどね。説明書で、最低限自分に必要な機能くらい読んでおけよと。こう言うオバさんがいるせいで、これだからオバサンって・・・と十把一絡にされちゃうのは、すっごくいやよね。
と、いきなり映画に関係ない話を書いちゃいましたが。
マラソンよかったですよ。
自閉症の子供とお母さんの話でね。
人間は社会と言う群れのなかで暮らしているので、群れの中にいて周りと意思の疎通ができないというのは、とても大変。
いずれ誰でも歳をとればスペシャルニードが必要になってくるけれど、例えば足が不自由で車椅子に乗っているなら、周りの人は「この人は足が不自由なんだな」と言わなくても認識できるし、言葉で「これを手伝ってください」と伝えられるわけで。
自閉症は意思の疎通ができない上に、一人一人が違うらしいので(不勉強ですいません)
自閉症だからこうしたらいいんだ、と言うのが一人一人違うものらしい。
そういう子供を育てながら、「あの子が私より一日早く死んでくれる事」が願いだという母親の気持ち。切ないです。
すごく頑張ってるお母さんなんだけど、家庭はバラバラなの。
お父さんは家を出てるし、弟は夜遊びしてグレかかってるし。最初はそれがなんだか、苦労をお母さん1人に押しつけてるみたいに見えたけど、実は違う。
お母さんが1人で抱え込んじゃってるの。
マラソンのコーチに「チョウォン(自閉症の息子)が1人で生きられないんじゃない。あんたがチョウォンなしで生きられないんだ」って怒鳴られてしまうんだけど、アレめちゃくちゃ図星だと思う。
お母さんがついに倒れて、入院してしまって。
ベットで傍らの父親に「(チョウォンに)好きなことを見つけてやりたかった」から始まるセリフに泣きました。
このお母さん。動物園でチョウォンを迷子にしてしまった時から、手を離した自分をずっと責めてきたんだなあと。もう2度と手をはなさないって思ったんだろうなあ。でもその時からきっとこのお母さんは両手でチョウォンを捕まえてしまったんだと思う。
片手でチョウォンと手を繋いで、もう片方の手で弟と手を繋いで、家族4人で輪になるように手を繋げばよかったのに。両手でチョウォンをつかまえてしまったから、お父さんや弟は輪からはじき出されたかのように、家族がバラバラになってしまったんだと思う。
お母さんが病気になってしまったら、自然と弟だって父親だってチョウォンに関わってくるんですもん。あの弟、いい子だよね。
最初はお母さんが叩き込んだマラソンかもしれないけど、チョウォンは走りながら風や光や雨を感じる事がとても好きみたい。
お母さんの手を離してマラソンを走り始めるシーンと、チョウォンをバイクで追いかけて「チーターはダメだ、シマウマのように走れ」とアドバイスするマラソンコーチの笑顔がとっても良かった。
このコーチね。いやなやつなの。コーチを引き受けたのに、やってることでたらめだし。やる気なさそうだし。チョウォンとコーチとして仕方なく付き合ってるうちにチョウォンを少しずつ理解していくけど、酒飲みでだらしなくてというままなのね。その辺もいいね。なんていうか、そういうふれあいの中で、急に「いい人」に目覚めちゃわないとこが臭くなくてよろしいかと。
走ったあとの気持ちよさそうな表情や、その気持ちよさをチョウォンと共感するあたりは、過去に、マラソンで金メダルを取った人らしくて、ああこの人も走ることが好きな人なんだなあって伝わってきました。
お母さん病気なってかえってよかったね。・・・と思うようなラストシーンでした。
見終わった時に思ったのは、子供の手を離してはいけない時と、離してやるべき時があるんだろうなあ・・・と言う事。それは我が子に障害があるとか無いとかに関係なく、普遍的なことなんだろうなあ。
どうもね。韓国映画って演歌的な臭さを感じて苦手なのです。ことに恋愛物。
ふるーい昭和のドラマ見てるみたいでねえ。
というほども見てないから、要は食わずキライかも(笑)たまたまN○Kで見たのがそうだっただけかな。
でも、マラソンは臭くないとの評判だったので、見る気になりました。スターウォーズ日照りで他にこれって映画もない時期でもあったので(笑)
親子物だからか観客は圧倒的にお母さん世代。
全席指定にも関わらず私の席に座ってるオバさんがいるし。
上映中に、携帯電話が鳴り響いちゃったりするし。
しかも「え?これどうしたらいいの?」とか言ってるんですよ。もうねえ・・・。電源きればいいでしょ!と怒鳴りたい気分。説明書がイラナイ携帯にしたら?とか思いました。
ワタシもね。似たり寄ったりな年代なんですけどね。説明書で、最低限自分に必要な機能くらい読んでおけよと。こう言うオバさんがいるせいで、これだからオバサンって・・・と十把一絡にされちゃうのは、すっごくいやよね。
と、いきなり映画に関係ない話を書いちゃいましたが。
マラソンよかったですよ。
自閉症の子供とお母さんの話でね。
人間は社会と言う群れのなかで暮らしているので、群れの中にいて周りと意思の疎通ができないというのは、とても大変。
いずれ誰でも歳をとればスペシャルニードが必要になってくるけれど、例えば足が不自由で車椅子に乗っているなら、周りの人は「この人は足が不自由なんだな」と言わなくても認識できるし、言葉で「これを手伝ってください」と伝えられるわけで。
自閉症は意思の疎通ができない上に、一人一人が違うらしいので(不勉強ですいません)
自閉症だからこうしたらいいんだ、と言うのが一人一人違うものらしい。
そういう子供を育てながら、「あの子が私より一日早く死んでくれる事」が願いだという母親の気持ち。切ないです。
すごく頑張ってるお母さんなんだけど、家庭はバラバラなの。
お父さんは家を出てるし、弟は夜遊びしてグレかかってるし。最初はそれがなんだか、苦労をお母さん1人に押しつけてるみたいに見えたけど、実は違う。
お母さんが1人で抱え込んじゃってるの。
マラソンのコーチに「チョウォン(自閉症の息子)が1人で生きられないんじゃない。あんたがチョウォンなしで生きられないんだ」って怒鳴られてしまうんだけど、アレめちゃくちゃ図星だと思う。
お母さんがついに倒れて、入院してしまって。
ベットで傍らの父親に「(チョウォンに)好きなことを見つけてやりたかった」から始まるセリフに泣きました。
このお母さん。動物園でチョウォンを迷子にしてしまった時から、手を離した自分をずっと責めてきたんだなあと。もう2度と手をはなさないって思ったんだろうなあ。でもその時からきっとこのお母さんは両手でチョウォンを捕まえてしまったんだと思う。
片手でチョウォンと手を繋いで、もう片方の手で弟と手を繋いで、家族4人で輪になるように手を繋げばよかったのに。両手でチョウォンをつかまえてしまったから、お父さんや弟は輪からはじき出されたかのように、家族がバラバラになってしまったんだと思う。
お母さんが病気になってしまったら、自然と弟だって父親だってチョウォンに関わってくるんですもん。あの弟、いい子だよね。
最初はお母さんが叩き込んだマラソンかもしれないけど、チョウォンは走りながら風や光や雨を感じる事がとても好きみたい。
お母さんの手を離してマラソンを走り始めるシーンと、チョウォンをバイクで追いかけて「チーターはダメだ、シマウマのように走れ」とアドバイスするマラソンコーチの笑顔がとっても良かった。
このコーチね。いやなやつなの。コーチを引き受けたのに、やってることでたらめだし。やる気なさそうだし。チョウォンとコーチとして仕方なく付き合ってるうちにチョウォンを少しずつ理解していくけど、酒飲みでだらしなくてというままなのね。その辺もいいね。なんていうか、そういうふれあいの中で、急に「いい人」に目覚めちゃわないとこが臭くなくてよろしいかと。
走ったあとの気持ちよさそうな表情や、その気持ちよさをチョウォンと共感するあたりは、過去に、マラソンで金メダルを取った人らしくて、ああこの人も走ることが好きな人なんだなあって伝わってきました。
お母さん病気なってかえってよかったね。・・・と思うようなラストシーンでした。
見終わった時に思ったのは、子供の手を離してはいけない時と、離してやるべき時があるんだろうなあ・・・と言う事。それは我が子に障害があるとか無いとかに関係なく、普遍的なことなんだろうなあ。
by suzume-ya3
| 2005-07-25 14:39
| 映画・ドラマ