退却も戦術なんだけど・・・
先週の木曜日にある人からショックなことを言われた。
前例から考えて、その人は相手がどう受け止めるかをあんまり考えて言っていないに違いないと思う。
きっと言葉たらずだったのよ。真意はこうなのかもああなのかも・・。と、できるだけ良い方向に考えようとした。
それでもその人の口から出た言葉は、その単語自体がそもそも心無い言葉だったから、どういう真意で言われたにせよ、言われた相手の気持ちを思いやる能力にかけた人であるのは確かだ。
その事をカウンセラーに話してしまった。
ただ、話したカウンセラーが「ある人」と同じ場所にいるカウンセラーだったのが失敗だった。
伝えて欲しくて話した訳じゃなくて、カウンセラーなんだから守秘義務は同じだろうと思っていたし。ある人を知ってる人だからこそ、話しやすかったのは確かで・・・。
自分のカウンセラーに話せばよかった。油断した。
ワタシは誰かに誰かのことを話すとき、一方的にならないように話す。
他人の言葉を正確に再現するのは無理だから。
ワタシにはこう聞こえたけど、相手はこういうつもりかもしれない。
ニュアンスは違うかもしれないけど、こういう単語が入っていたことは確か。
だからこう思ってしまった。と話す。
相手がこう言ったからコウだとは、言わない。
こう言われた。こう言う意味もあるかも知れないし、こう言うつもりだったかもしれないけど、ワタシはこう受け止めた。・・・いつもそうやって、自分が自分の気持ちにどっぷりはまっているのではない事を、自分に確認しながらはなす。
それはカウンセラーと話す時も同じだ。別に認知療法を受けてるわけじゃないけれど、自分がひとつの方向からしか見れてない状態ではないことを、言葉にすることで自分にも確認している。
(自分が身動き取れないほど囚われてはいない、別の考え方だってできるんだ。それを自分で確認してる。ただ、頭で考える事ができると、気持ちが感じた事は、別問題なのだ。)
それでも、ある人の話に含まれていた「心無い単語」にカウンセラーが珍しい反応を示した。
それは「ある人の立場」から言って、許されるべき単語ではなかった事は確かだが、そのカウンセラーがはっきりと「それは問題です」というのは、はじめてだった。
きっとカウンセラーは、ワタシとある人の”間の事”として話したんじゃないと思う。
カウンセラーは「ある人」の職業をかんがみた時、それは有るまじき事だったから、その人個人への改善の必要を感じて話したことだろうと思う。
でもどういう理由であれ。ある人とワタシの2人しかいないところで出た会話が、カウンセラーを経由してある人の所へ戻っていってしまったのだ。
それで、ある人に、自宅へ(前もって連絡もなく)押しかけてこられる事態になった。
たまたま在宅してなかったので、その時は顔を合わさずにすんだが、今日になって電話がきた。しかも明らかに言い訳。
言ったことを、そんなことは言ってないとは、さすがに言わなかった。その点はヨロシイとは思う。
思うが、弁解の続く長電話に付き合うのは疲れた。
弁解のなかで明らかにニュアンスが変化しているからだ。内容を曲げはじめている。
そして話し合う中で、更にとんでもないことがわかってしまった・・・。
ある人はワタシにウソを言っていた。ワタシが知らないと思ったのだろう。
もちろんワタシは「その事については、こうだったと聞いてる」と反論した。
その返事は・・・無言だった。そしてあわただしく電話は切れた。
しかも電話では話せないのでまた自宅に伺うという言葉を残して。
電話で話せない理由は、電話では同僚に聞かれるからだろうと思う。
同僚にうそがばれては困る、しかし何とかワタシには言いつくろわねばならない。
だから他人の耳のある場所では話したくないのだろう。
でも、話にウソがあるとわかってしまった以上、ワタシはその人と2人っきりで話しをするのはやめようと思う。
だから話があるならワタシが出向くから自宅には来てくれるなと、追って電話を入れた。
すごく疲れた。
どこまで、このトラブルが続くのだろう。
避けて通るのも対応の1つだと思うが、退却できない理由もある。
とにかく、誰か第三者のいない場所では、その人と話をするのはもうやめよう・・・。
前例から考えて、その人は相手がどう受け止めるかをあんまり考えて言っていないに違いないと思う。
きっと言葉たらずだったのよ。真意はこうなのかもああなのかも・・。と、できるだけ良い方向に考えようとした。
それでもその人の口から出た言葉は、その単語自体がそもそも心無い言葉だったから、どういう真意で言われたにせよ、言われた相手の気持ちを思いやる能力にかけた人であるのは確かだ。
その事をカウンセラーに話してしまった。
ただ、話したカウンセラーが「ある人」と同じ場所にいるカウンセラーだったのが失敗だった。
伝えて欲しくて話した訳じゃなくて、カウンセラーなんだから守秘義務は同じだろうと思っていたし。ある人を知ってる人だからこそ、話しやすかったのは確かで・・・。
自分のカウンセラーに話せばよかった。油断した。
ワタシは誰かに誰かのことを話すとき、一方的にならないように話す。
他人の言葉を正確に再現するのは無理だから。
ワタシにはこう聞こえたけど、相手はこういうつもりかもしれない。
ニュアンスは違うかもしれないけど、こういう単語が入っていたことは確か。
だからこう思ってしまった。と話す。
相手がこう言ったからコウだとは、言わない。
こう言われた。こう言う意味もあるかも知れないし、こう言うつもりだったかもしれないけど、ワタシはこう受け止めた。・・・いつもそうやって、自分が自分の気持ちにどっぷりはまっているのではない事を、自分に確認しながらはなす。
それはカウンセラーと話す時も同じだ。別に認知療法を受けてるわけじゃないけれど、自分がひとつの方向からしか見れてない状態ではないことを、言葉にすることで自分にも確認している。
(自分が身動き取れないほど囚われてはいない、別の考え方だってできるんだ。それを自分で確認してる。ただ、頭で考える事ができると、気持ちが感じた事は、別問題なのだ。)
それでも、ある人の話に含まれていた「心無い単語」にカウンセラーが珍しい反応を示した。
それは「ある人の立場」から言って、許されるべき単語ではなかった事は確かだが、そのカウンセラーがはっきりと「それは問題です」というのは、はじめてだった。
きっとカウンセラーは、ワタシとある人の”間の事”として話したんじゃないと思う。
カウンセラーは「ある人」の職業をかんがみた時、それは有るまじき事だったから、その人個人への改善の必要を感じて話したことだろうと思う。
でもどういう理由であれ。ある人とワタシの2人しかいないところで出た会話が、カウンセラーを経由してある人の所へ戻っていってしまったのだ。
それで、ある人に、自宅へ(前もって連絡もなく)押しかけてこられる事態になった。
たまたま在宅してなかったので、その時は顔を合わさずにすんだが、今日になって電話がきた。しかも明らかに言い訳。
言ったことを、そんなことは言ってないとは、さすがに言わなかった。その点はヨロシイとは思う。
思うが、弁解の続く長電話に付き合うのは疲れた。
弁解のなかで明らかにニュアンスが変化しているからだ。内容を曲げはじめている。
そして話し合う中で、更にとんでもないことがわかってしまった・・・。
ある人はワタシにウソを言っていた。ワタシが知らないと思ったのだろう。
もちろんワタシは「その事については、こうだったと聞いてる」と反論した。
その返事は・・・無言だった。そしてあわただしく電話は切れた。
しかも電話では話せないのでまた自宅に伺うという言葉を残して。
電話で話せない理由は、電話では同僚に聞かれるからだろうと思う。
同僚にうそがばれては困る、しかし何とかワタシには言いつくろわねばならない。
だから他人の耳のある場所では話したくないのだろう。
でも、話にウソがあるとわかってしまった以上、ワタシはその人と2人っきりで話しをするのはやめようと思う。
だから話があるならワタシが出向くから自宅には来てくれるなと、追って電話を入れた。
すごく疲れた。
どこまで、このトラブルが続くのだろう。
避けて通るのも対応の1つだと思うが、退却できない理由もある。
とにかく、誰か第三者のいない場所では、その人と話をするのはもうやめよう・・・。
by suzume-ya3
| 2005-09-13 14:15
| はへほ日記