『私の頭の中の消しゴム』
韓流には、どうにもハマれない雀屋ですが、この映画は見たいと思って見に行きました。
でもなんか・・・。あぁレビュー書きたくない・・・てなくらいイマイチだった。
期待しすぎて行ったからだと思うんですけどね。
見終わった時最初に頭に浮かんだのが「なんだ奇麗事のメロドラマか」でした。
恋愛映画にも遠くないですか?
メロドラマで終わっちゃってて、実に勿体ない。
だってね「肉体の死よりも精神の死が先に来る」
これってすごく怖い事でしょう?
自分が誰か。これって社会性をもった人間だから重要な事なんで、自分ひとりの世界で生きていけるなら自分は「自分」で完結するんです。
だから自分が誰かがわからないというのは社会的な死なのです。
生きているのに死ぬんですよ?
死んでいるのに生きていかなければならないんですよ?
めちゃくちゃ怖いと思う。
映画の中でも、チョルスの「愛する人が自分の事を忘れていく悲しみ」は割とよく描けてると思ったのですけれども・・・、スジンの自分があらゆることを忘れていく恐怖、自分の人格が壊れていく恐怖は余り描ききれていません。
数日前までは、大事な契約書類を託されるくらいちゃんと仕事が出来てたのに、その仕事をやめてわずか数日で、自分がどこに何をしに行こうとしてるかも判らなくなり、携帯電話の使い方も判らず・・・。さらにその数日後には来客の前で失禁するって。
家に帰る道がわからなくなるって言うスジンの言葉を、周りの友人は「新婚ボケ」と笑い飛ばせる。これってどの程度の痴呆だとおもいます?
急に会社を辞めた事について、上司 (これが2年前に分かれた不倫相手の元彼なんだけど) は自分との事で居辛いのかとか、俺たち2年前に戻れないのかとか。
日ごろスジンの仕事振りにおかしい所があれば、急に辞めたのはもしかして何か病気?って結びつくのが普通でしょう。
でもだれも疑わないのです。
年齢が若いので痴呆を疑わないのは別におかしいとは思いません。
だけど、スジンは何かの病気なのかもっていう疑いすら誰も持ってないのです。
夫のチョルスにしたってそうです。
スジンの周りの人たちは、スジンの事を「人より物忘れが激しいけれども、だからと言ってなにかの病気を疑うほどではない程度の物忘れ」と思っているわけです。
でもその状態から、病気を宣告されたとたんわずか数日にしてして、失禁シーンに繋ぐんです。
どうして、スジンが「自分が自分でなくなっていく恐怖」を端折っちゃうの?
しかもチョルスはそんな彼女を支えて一緒に生きていくといいながらですね。
昼間は彼女をたった一人で家において仕事へ行くんですよ。
胸に迷子札をかけてますけど、ときに下の世話まで必要なんでしょう?
介護の人も頼まず、たった一人にして毎日仕事にいける状態ですか?それ。
綺麗に髪も服も爪も整えて、部屋中に張られたメモをまるで博物館の展示物でも読むみたいに、これはなんだろう?って表情で読んでいくスジン。
部屋の中には危険物がいっぱいですけど?
ラストシーンも余りにもイタダケナイ。
なんでまぁあんな安物のメロドラマみたいな終りかたにしちゃうんでしょうねえ・・・。
でもなんか・・・。あぁレビュー書きたくない・・・てなくらいイマイチだった。
期待しすぎて行ったからだと思うんですけどね。
見終わった時最初に頭に浮かんだのが「なんだ奇麗事のメロドラマか」でした。
恋愛映画にも遠くないですか?
メロドラマで終わっちゃってて、実に勿体ない。
だってね「肉体の死よりも精神の死が先に来る」
これってすごく怖い事でしょう?
自分が誰か。これって社会性をもった人間だから重要な事なんで、自分ひとりの世界で生きていけるなら自分は「自分」で完結するんです。
だから自分が誰かがわからないというのは社会的な死なのです。
生きているのに死ぬんですよ?
死んでいるのに生きていかなければならないんですよ?
めちゃくちゃ怖いと思う。
映画の中でも、チョルスの「愛する人が自分の事を忘れていく悲しみ」は割とよく描けてると思ったのですけれども・・・、スジンの自分があらゆることを忘れていく恐怖、自分の人格が壊れていく恐怖は余り描ききれていません。
数日前までは、大事な契約書類を託されるくらいちゃんと仕事が出来てたのに、その仕事をやめてわずか数日で、自分がどこに何をしに行こうとしてるかも判らなくなり、携帯電話の使い方も判らず・・・。さらにその数日後には来客の前で失禁するって。
家に帰る道がわからなくなるって言うスジンの言葉を、周りの友人は「新婚ボケ」と笑い飛ばせる。これってどの程度の痴呆だとおもいます?
急に会社を辞めた事について、上司 (これが2年前に分かれた不倫相手の元彼なんだけど) は自分との事で居辛いのかとか、俺たち2年前に戻れないのかとか。
日ごろスジンの仕事振りにおかしい所があれば、急に辞めたのはもしかして何か病気?って結びつくのが普通でしょう。
でもだれも疑わないのです。
年齢が若いので痴呆を疑わないのは別におかしいとは思いません。
だけど、スジンは何かの病気なのかもっていう疑いすら誰も持ってないのです。
夫のチョルスにしたってそうです。
スジンの周りの人たちは、スジンの事を「人より物忘れが激しいけれども、だからと言ってなにかの病気を疑うほどではない程度の物忘れ」と思っているわけです。
でもその状態から、病気を宣告されたとたんわずか数日にしてして、失禁シーンに繋ぐんです。
どうして、スジンが「自分が自分でなくなっていく恐怖」を端折っちゃうの?
しかもチョルスはそんな彼女を支えて一緒に生きていくといいながらですね。
昼間は彼女をたった一人で家において仕事へ行くんですよ。
胸に迷子札をかけてますけど、ときに下の世話まで必要なんでしょう?
介護の人も頼まず、たった一人にして毎日仕事にいける状態ですか?それ。
綺麗に髪も服も爪も整えて、部屋中に張られたメモをまるで博物館の展示物でも読むみたいに、これはなんだろう?って表情で読んでいくスジン。
部屋の中には危険物がいっぱいですけど?
ラストシーンも余りにもイタダケナイ。
なんでまぁあんな安物のメロドラマみたいな終りかたにしちゃうんでしょうねえ・・・。
by suzume-ya3
| 2005-11-10 20:41
| 映画・ドラマ