『ドア・イン・ザ・フロア』
今年観たキム・ベイシンガーさんの映画2本。
「ツーカー」は、テンポも良くて小品だけどとても上出来な映画だった。
「ドア・イン・ザ・フロア」は、原作が「ガープの世界」「サイダハウス・ルール」のジョン・アービング。
どっちの映画ももうちょっと話題になっていい出来だったのに、扱いが小さくてホント残念。
「ドア・イン・ザ・フロア」はジョン・アービングの「未亡人の一年」の前半だけを映画化したもの。
ちょっとした偶然がいくつも重なって起きた不幸な事故で、2人の息子を同時に亡くした夫婦。
埋めようの無い喪失感や、悲しみ。
それは父親も母親も同じなはずなのに、その悲しみの質というのか、深さに違いがあるのかもしれない。
悲しみを悲しみのまま、忘れてはいないが、心に抱えたままでも前を向いて生きようとする父親テッドと、その悲しみに心を奪われ、身動きが取れない母親マリアンの姿。
テッドが、知人からのツテで頼まれたといえ、夏休みの間助手としてエディを受け入れる気になったのは、エディがなくなった息子の1人に似ていたから。
そして、エディを受け入れることを決めると同時に提案された奇妙な別居生活。
その目的はエディをマリアンに与える為。
妻の深い悲しみは理解していても、マリアンに笑顔を取り戻してやる事ができないテッド。
息子に似たエディをマリアンに与える・・・。それは妻想い?それとも妻を「安心して」突き放す為に、彼女へのリハビリとして考えた事?
浮気を繰り返しているテッド。
その相手は若くて美しい娘達ではなく、何かをなくしたことがある女性たち。若さであったり、夫であったり。
ヴォーン夫人もそうだと描かれてはいなかったが、外泊したり自分の家にテッドを招いたり、その自由さを見るにつけ、おそらく彼女も未亡人か、もしくはそれに近い状態なのだろうということが察せられる。
マリアンと癒しあえない部分を、悲しみを知っている女性たちと浮気をすることで、なだめているのかな、とも思えた。
マリアンがテッドに心を閉ざすのは、テッドが、過去の悲劇を克服しているように見えるからだろう。テッドからは、マリアンの方が悲しみが深く、自分より人間的にみえる?
おたがいに憎しみあってるとは言えないまでも、お互いに心を開く事はできない関係になっている2人。
エディとマリアンの関係を知って「ルースの親権を争う時には証言してくれ」と言う、テッド。
マリアンへの愛に変りが無いなら、最初に出る言葉はそんなものではないだろう。
もっともそうなる事をテッドも解ってエディを与えたのだろうが。
そのくせ、マリアンがルースも置いて出て行ったとき(親権を争うまでも無かったというのに)ルースを置いて出て行ったことにショックを受けるテッド。
そして出て行くとき、ネガも含めて息子の写真をすべて持ち去ったマリアン。
この2人は、同じ大きな悲しみをなぜ共有できなかったのだろうか。
淡々と寡黙な映画であるけれど、深く考えさせられる映画でもある。
ジェフ・ブリッジスとキム・ベイシンガー。押さえた悲しみの演技がとてもすばらしいと思った。
あまりに大きな悲しみの前では、人は泣く事も出来ず無力に陥るのだと思う。
「ツーカー」は、テンポも良くて小品だけどとても上出来な映画だった。
「ドア・イン・ザ・フロア」は、原作が「ガープの世界」「サイダハウス・ルール」のジョン・アービング。
どっちの映画ももうちょっと話題になっていい出来だったのに、扱いが小さくてホント残念。
「ドア・イン・ザ・フロア」はジョン・アービングの「未亡人の一年」の前半だけを映画化したもの。
ちょっとした偶然がいくつも重なって起きた不幸な事故で、2人の息子を同時に亡くした夫婦。
埋めようの無い喪失感や、悲しみ。
それは父親も母親も同じなはずなのに、その悲しみの質というのか、深さに違いがあるのかもしれない。
悲しみを悲しみのまま、忘れてはいないが、心に抱えたままでも前を向いて生きようとする父親テッドと、その悲しみに心を奪われ、身動きが取れない母親マリアンの姿。
テッドが、知人からのツテで頼まれたといえ、夏休みの間助手としてエディを受け入れる気になったのは、エディがなくなった息子の1人に似ていたから。
そして、エディを受け入れることを決めると同時に提案された奇妙な別居生活。
その目的はエディをマリアンに与える為。
妻の深い悲しみは理解していても、マリアンに笑顔を取り戻してやる事ができないテッド。
息子に似たエディをマリアンに与える・・・。それは妻想い?それとも妻を「安心して」突き放す為に、彼女へのリハビリとして考えた事?
浮気を繰り返しているテッド。
その相手は若くて美しい娘達ではなく、何かをなくしたことがある女性たち。若さであったり、夫であったり。
ヴォーン夫人もそうだと描かれてはいなかったが、外泊したり自分の家にテッドを招いたり、その自由さを見るにつけ、おそらく彼女も未亡人か、もしくはそれに近い状態なのだろうということが察せられる。
マリアンと癒しあえない部分を、悲しみを知っている女性たちと浮気をすることで、なだめているのかな、とも思えた。
マリアンがテッドに心を閉ざすのは、テッドが、過去の悲劇を克服しているように見えるからだろう。テッドからは、マリアンの方が悲しみが深く、自分より人間的にみえる?
おたがいに憎しみあってるとは言えないまでも、お互いに心を開く事はできない関係になっている2人。
エディとマリアンの関係を知って「ルースの親権を争う時には証言してくれ」と言う、テッド。
マリアンへの愛に変りが無いなら、最初に出る言葉はそんなものではないだろう。
もっともそうなる事をテッドも解ってエディを与えたのだろうが。
そのくせ、マリアンがルースも置いて出て行ったとき(親権を争うまでも無かったというのに)ルースを置いて出て行ったことにショックを受けるテッド。
そして出て行くとき、ネガも含めて息子の写真をすべて持ち去ったマリアン。
この2人は、同じ大きな悲しみをなぜ共有できなかったのだろうか。
淡々と寡黙な映画であるけれど、深く考えさせられる映画でもある。
ジェフ・ブリッジスとキム・ベイシンガー。押さえた悲しみの演技がとてもすばらしいと思った。
あまりに大きな悲しみの前では、人は泣く事も出来ず無力に陥るのだと思う。
by suzume-ya3
| 2005-12-08 18:48
| 映画・ドラマ